2013年5月1日水曜日

マンスリーレポート 2013年5月号


国連代表団、国連法に基づくエルサレムの地位に関して学ぶECI主催の昼食会に出席

ニューヨーク - 国連代表団の方々は、パレスチナ国家や将来のエルサレムの地位問題について投票することを求められているにも関わらず、国際法に基づくエルサレムの地位についての正しい知識をほとんど持っていません。多くの代表の方々は、この問題はタブー視されていることを率直に認め、他の人たちは、もし自分たちがエルサレム分割に対して反対票を投じた場合の有効な議論について、へりくだって尋ねました。

5月8日(水)にニューヨークで行われた国連代表団に対するECIの外交的な昼食会は実にユニークなものでした。今年のエルサレム・デーはちょうど勝利の日にあたり、それはヨーロッパ・デーの前日でもあり、トマス・サンデールは、エルサレム・デーは同様に勝利の日でもあることがはっきり分かるようにゲストの注意を引きました。(スピーチの全文はこちらを、タイムズ・オブ・イスラエル紙への寄稿論文はこちらを参照)サンデール氏は、また、ニューヨークの国連本部の壁に書かれているイザヤ書2章を引用して、世界平和を作り出すうえでエルサレムが中心であることについても語りました。

トロントのJacques Gauthier 博士は、国際法に基づくエルサレム旧市街の地位に関する、とても価値のある講義をされました。博士は、この旧市街には、パレスチナ人が新しいパレスチナ国家の首都として主張している、いわゆる東エルサレムが含まれていることを指摘しました。国際社会全体は、いかに国際法に抵触しているか、何がユダヤ人居住者にとっての決定されたことだったのかについて正しい理解なしにこの主張を支持しているように思われます。

博士は、委任統治領内では、誰も宗教や民族性によって差別することはできないと明確に述べられているパレスチナ委任統治の第15箇条を引用しました。ヨルダンの権力者たちは、彼らの人口からユダヤ人を排除し、他のアラブ諸国にそのようにさせることにより、繰り返しこの箇条を破ってきました。パレスチナ自治政府の指導者、マフム―ド・アッバス議長もまた、新しいパレスチナ国家にはユダヤ人を居住させないことを誓っていますが、これは、エルサレム旧市街に住んでいるユダヤ人を立ち退かせることを意味しています。

Gauthier博士は、イギリスの公文書保存館から送られてきたばかりのパレスチナの委任統治の原文のコピーがすべての参加者に手渡しました。博士は、ユダヤ人たちは、過去何度も裏切られ続けており、今こそ現存する国際条約のため、ユダヤ人のための正義を求めて立ち上がる時であることを代表達に懇願しました。

ユネスコ代表、昼食会のメッセージを考慮に入れることを約束

ニューヨーク - 昼食会に出席した20か国以上の国連大使と上級外交官の中、国連のユネスコ常任
オブザーバーがおられました。ユネスコはすべての国連組織の中でもっとも敵対的と広く見られていましたが、しかしその代表者は昼食会で発表されたメッセージに対して好意的でした。

「これはきわめて重要な情報で、私は事務総長と、来週聖地の視察に派遣されるオブザーバーたちに伝えます。」と語りました。さらに彼はECIの代表者たちをパリのユネスコ本部で最高指導者たちと直接会談するように招待しました

他の大使たちは、エルサレムは分割すべきと要求している国連総会の圧倒的多数に対して反対票を投じるための具体的な議論や討議のポイントについて質問しました。一貫してイスラエルに反対の票を投じてきた、国連メンバーの中のある代表は、この議題に関してさらに深く知る機会が与えられたことをECIに感謝しました。彼は、国際法の詳細について全く何も知らずに、彼らは国連常任代表としてユダヤ人入植地を非難し、エルサレムを分割することを要求するつもりでいたことを認めました。

ニューヨークで大使や他の方々と話す中で、多くの国連常任代表の方々はどのように投票するかについて彼らの国の外務大臣から支持されておらず、なんの背景知識もないまま、彼らが自主的に決断しなければならない状態であったことが明らかになりました。

彼らはただ、EU、アフリカ連合、あるいは非同盟運動といった他の指導力についていくだけです。論理的にイスラエルをサポートすることのできるグループがいなければ、国連総会の大多数に反対することは全くの不可能です。

これは三つのことを意味しています。

-多くの、影響力の少ない他の加盟国が見ているので、ヨーロッパ諸国の投票は重要であること。

-他の常任代表からくる圧力から離れ、イスラエルに賛成の票を投じたいと考えるこれらの常任代表に確固たる情報を提供することは重要であること。

-イスラエルに賛成票を投じたいこれらの国々を集めることは重要だが、しかし国連で主流派から排斥されてはならない。

ECI は、同じ考え方を持つ人々を彼らと共に集めることと同様に、確かな予備知識と議論のポイントを大使たちに提供することで助けることができます。これはイスラエル人によってではできませんし、アメリカの影響力も低下しています。ECIのようなヨーロッパのクリスチャンによる草の根運動が重要な役割を果たすことができるのです。

国連での決定の谷の中でイスラエルの側に立ちたいと思っている人々を継続して力づけるために、ぜひ我々を経済的にご支援くださるようにお願いします。

ECI議長、エルサレムでの勝利の日のイベントで栄誉を受ける


エルサレム - ECI代表団がニューヨークでエルサレム・デーを祝っている間、Harald Eckert議長はエ

長年にわたるECIの友人であるJobst Bittner もこのカンファランスに出席しており、
ますます広がっている「いのちの行進」を創始した彼の役割のため、また彼の著書と奉仕の為、栄誉を受けました。残虐行為に関わったドイツ人家族内の沈黙のベールを破るため(「沈黙のベールを破る」という同じタイトルをつけた彼の著書は今英語でも出版されました。)

このイベントは「イスラエルの助けの手連合」よって開催されました。

ベルギーでの親イスラエル集会に数千人

ブリュッセル - およそ2000人の人々が5月12日(日)、イスラエルをサポートするユニークで平和的なデモのためにブリュッセルに集まりました。主催者によると、大多数は福音派のクリスチャンで、彼らのユダヤ人国家に連帯の意を表明したいと思う人たちでした。このイベントは、「イスラエルのためのベルギー連合」による数年にわたるネットワーク作りの結果で、2010年にRaymond Vandeput とその他のリーダーたちによって立ち上げられたECIの最初の全国的な現れです。

ベルギーの状況は、他の大半のヨーロッパの首都とよく似ており、イスラム教徒の人口が急上昇で伸びています。(ブリュッセルは現在36%がイスラム教徒)しかしヨーロッパ人ではない福音派およびカリスマ派の教会もまた急速に広がっています新しい推定によると、現在15万の福音派のクリスチャンがベルギーにおり、その多くは少数民族からで、聖書は神のことばであるとみなし、神様のイスラエルに対するご計画を支持するヨーロッパ系でない教会の出身です。

しかしイスラエル・ラリーは戦いなしに実現したのではありません。市当局は、イベントの12日前にやっとラリーの開催許可を出し、それから開催現場を変更しました。そのようにイスラム教徒人口の多い市内で、イスラエル支持のラリーを行うことには慎重を要し、当局は許可を与えることに躊躇していました。しかし、警察は、平和的で建設的な催しだったとラリー主催者側をたたえました。主催者は来年、より多くの参加者を期待しています。

ECIは、より良い明確なイスラエル支持のためにヨーロッパ諸国に新しい国のグループを立ち上げることを計画しています。

ECIと連絡をとりあっていきましょう。-あなたにあった方法で

コミュニケーションが過剰になる情報社会の中で、私たちは皆さんにあった方法で私たちと関わりを持って下さることを願っています。

マンスリーレポートやプレスリリースによって私たちがECIでどういった働きをしているかの概要をお伝えします。また、英国のRevelation TV やフィンランドではTV 7、ルーマニアでは「アルファとオメガ」で見ることができるヨーロッパ議会からの私たちのヨーロッパ・レポートを毎月みることで皆さんを励ますことと思っています。

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皆さんが私たちに関わって下さることは、私たちにとって非常に貴重です。ご意見やコメントがありましたら、ぜひお気軽に info@ec4i.orgまでメールをお送りください。

ルサレムコンベンションセンターで開催された祝賀イベントに参加し、イスラエルでホロコーストの生存者を支援する働きのために、他のクリスチャンのリーダーたちと共に栄誉を受けました。Eckert氏はホロコースト生存者の忠実なサポーターで、ドイツの若者をイスラエルにいるホロコースト生存者と会わせ奉仕をする役割を果たしてきました。若いドイツ人と年老いたイスラエル人ホロコースト生存者との出会いは明らかな贖い的な目的があるります。彼らの中の幾人かにとっては、これはホロコースト以来、初めての若いドイツ人との出会いでした。