2016年1月19日火曜日

2016年1月 月刊報告


期待含みで終えた2015年
2016年はどんな年になるか。

昨年、ヨム・キプールが国連機関の祭日と認められたことによって、期待含みの一年で終えることができた。国連での承認は、我々の努力がいかに無駄でなかったかを証明している。2年半にわたる絶え間ない運動はついに国際社会にイスラエルの場所を増強させる具体的な結果となった。これこそが、ECIが進める文化外交フォーラムの主要な目的である。

先月、ECIの活動が共に働く時にいかに影響力を持つかを述べてきた。昨年12月、ユダヤ人入植地域でEUがラベルの貼り付けを明示してきたが、それに対して、我々は協力者を募り、EUの20カ国以上の政府にEUガイドラインがいかに不適切であるかの書簡を2日間以内に送った。

しかしながら、昨年は、2つの主要な目標が達成されたにすぎない。2016年には多くの者たちと手をつなぎ、さらに目標達成のために働きを進めていきたい。共に手を取り合えば、力が発揮されるのだ。

ヨム・キプールが国連の祭日に認められる

【ニューヨーク】 2015年12月18日金曜日、国連でヨム・キプルが祭日として認められ、ECIは充実した一年で終えることができた。祭日の承認はクリスマス休暇の1週間前、ECIがニューヨークで働きを進めていた最後の日であった。

この決定の経緯を振り返ると、2013年8月、ECIがイスラエル政府に最初に発案してから、2年と半年の活動で実を結んだといえる。その数週間後、エルキン副次官外相がエリアソン国連事務次長に第68回国連総会のハイレベル・セッションでユダヤの祭日案を提案した。

2014年5月12日には、当時のロン国連イスラエル常任大使が、ECIが立ち上げた文化外交フォーラムで、192カ国のすべての国連加盟国に公開書簡を送り、承認願いを出したことを発表し、勢いを得た。32カ国の加盟国がその書簡に応答し調印し、最終的には65カ国がイスラエルを支援する意を示した。さらに、祭日が承認されるにあたり、サマンサ国連米大使は、変動的な祭日、アメリカの祝日である大統領の誕生日で重要な役割を担った。その他にも6つの他宗教の祭日が変動休日として承認された。

ECI、ティラナとニューヨークで行われたハヌカーの祭に出席

ECIはユダヤの祭を認識し、促進し、学ぶ働きを進めているが、その感謝の意として、アルバニアの首都ティラナ、ニューヨーク、ブリュッセルで開催されたハヌカーの祭のレセプションに招待された。

【ティラナ】 すでに昨年、ブヤル・ニシャニ・アルバニア大統領主催のハヌカーの祭りで行われたECIと文化外交フォーラムの代表としてグレゴリー国連ディレクターが出席している。今年は、ジュディーECIスタッフとともに、イスラム教が多数を占めるアルバニアの国で、ハヌカーの祭りがいかに公の祭日として認識されつつあるかを語る機会を得た。祭りのレセプションの後には、ブヤル大統領と会合し、普遍的メッセージがあるユダヤの祭日、ハヌカー祭に敬意を払い、祝う意味合いを語った。

【ニューヨーク】 そのわずか3日後には、ロナルド世界ユダヤ協会会長、新任のダニー・ダノン国連イスラエル常任委員主催のニューヨークで開催されたハヌカー祭に、グレゴリーECI国連ディレクターとECI創設者トマス・サンデルが出席した。レセプションには、ルーベン・リブリン・イスラエル大統領のスピーチがあり、国連外交官や、エリアソン国連副事務局長も出席した。

ECI、新任のイスラエル国連大使と顔合わせ

【ニューヨーク】 新年のニューヨーク訪問最終日は、新任のダニー・ダノン国連イスラエル大使との顔合わせを含んだ。ダノン大使は昨年10月に前任のロン氏からポストを引き継いだ。ダノン大使は国連では新顔だが、ECIにとってはそうではない。ダノン大使は2009年にはすでにクネセット(イスラエルの国会)の新メンバーで、ECI創設者トマス・サンデルとはストックホルムで私的な晩餐で会い、友好関係を保ってきた。同氏は2010年4月のサンレモ決議第90周年式典で、イスラエル政府の公式代表だった。

新しく就任したダノン大使は、すでにECIの文化外交フォーラムとECIの国連イスラエル・ミッションで協力関係にあり、その働きの継続と拡大に熱心であったため、ECIの活動と文化外交フォーラムについての説明は必要なかった。

ECIは新しいイスラエル国連大使を歓迎すると共に、ECIの国連イスラエル・ミッションで、ダビデ・ロエット副常任代表を含むスタッフ、そして新任の国連大使と共に、イスラエルために働けることを期待している。

ECI、ブリュッセルの年次シンポジウムで、ヨーロッパ文化と価値観に貢献するユダヤ人に注目

【ブリュッセル】 ブリュセルでの新たな安全保障上、2015年年次政策会議は、2016年4月21日延期に延期せざるを得なかった(下のお知らせを参照)。勢いを失わないためにもECIは、12月2日から3日にかけて、欧州議会でのシンポジウムを組織した。シンポジウム開催の1週間前、ブリュッセルが厳重な封鎖状態だったにもかかわらず、予定通り開催することができた。

シンポジウムでは、ドイツ政府からの講演者と同様に、欧州議会と欧州委員会からの講演者も、いかにユダヤ人コミュニティーが時と共にヨーロッパ文化と価値観に貢献してきたかを説明した。

「16世紀中頃、世界のユダヤ人口の80%がポーランドに住んでいた。」とヨーロッパ議会のリチャード・ヘンリー・ポーランド副大統領は述べた。どのようにポーランドは同国のユダヤ人コミュニティーの継続的な存在によって形成されたかを続けて説明し、ある筋によれば、ヘブライ語で「安全な住まい」という意味があるポーランドという国名にもそれが表れている。

フェリックス・クライン独大使は、ホロコーストという悲惨な出来事にもかかわらず、どうしてユダヤ人が再びドイツに戻って来ているかについて言及した。ヨーロッパでのユダヤ人の重要な役割は、母国のためにノーベル賞を受賞したヨーロッパ在住のユダヤ人の数の多さに比例して、明らかに表されている。彼らの貢献なしに、ヨーロッパは現在のヨーロッパであっただろうか。

「ヨーロッパのユダヤ人について語る時に、我々はヨーロッパのユダヤ人の生活のこのポジティブな面を思い出すことは重要なことだ。」と語った。

ヨーロッパにおけるユダヤ人の存在の第三の例は、スペインの事例に現れている。それは1492年に全スペインのユダヤ人口を強制退去させたことだ。スペインのラウル・フエンテス欧州委員会委員(写真)は、ユダヤ人が排除された時にスペインは自分のアイデンティティーの多くを失ったことを認めた。彼はスペイン国王の「ずっとあなたがたに会いたいと想っていました。」という言葉を引用した。スペインは最近、スペイン系の先祖をもつことを証明できるユダヤ人に対して市民権を発行することを認めた。

史上初、反ユダヤ問題EU特使、ECIのシンポに初出席


【ブリュッセル】 12月1日、EUはカタリーナ・バン・シュナーバンを史上初の反ユダヤ問題に対するEU特使として任命した。その二日後の12月3日には、欧州議会で行われたECIシンポジウムでEU反ユダヤ問題特使として公に姿を現した。

このシンポジウムでカタリーナ氏は反ユダヤ主義に対する初のEU特使として自分の役割を説明し、ECIと協力して働くことに期待すると述べた。

ヨーロッパにおける反ユダヤ主義の台頭を考えることをさておき、ヨーロッパの文化と価値観に対するユダヤ人たちの積極的な貢献について語った。「困難に負けない忍耐強さはそのような価値観の一つです。」と語った。何度も差別に直面し、困難な環境のもとで生活せざるを得なかったにもかかわらず、その忍耐強さを通してユダヤ人の方々はヨーロッパ文化に貢献し続けてきました。」

トマス・サンデルは、ECIがユダヤ人のヨーロッパ文化に対する積極的な貢献に注目する理油を説明してシンポジウムをまとめた。

「我々は、単に寛容さを主張することでヨーロッパの反ユダヤ主義と戦うことは決してできない。」

反ユダヤ主義はユダヤ文化に対する根深い軽蔑に基づいている。ユダヤ人とその文化を尊敬することによって初めて、我々はユダヤ人嫌悪に対する解決方法を見出すことができると期待する。ユダヤ人の方々と彼らの文化は単に許容されるのではなく、祝われるべきものである。」


イベントのお知らせ

2016年4月21日 欧州議会で年次カンファランス 場所:ブリュッセル
2016年4月22-24日 年次祈りのサミット  場所:ブリュッセル